Mikuo Konoki | 此木 三红大
Biography
此木三紅大(コノキ・ミクオ)画歴
19379月27日 父・此木幸吉、母・ヨシノの三男として東京都北区滝野川に生まれる。
1945(8才) 終戦、大田区立矢口西小学校に入学。
福島県須賀川市立第一小学校に転入学。
1951(14才)大田区立矢口西小学校に転校する。
1952(15才)大田区立矢口中学校に入学。白幡恒先生の薫陶をうける。
第1回矢口中学校アンデパンダン展に「多摩川の家族」参加。
第3回全国学生油絵コンクール・サンライズ学院展に「家族」出品、入賞。
1953(16才)第4回全国学生油絵コンクールに「夏の日」出品、入賞.
矢口中学校主催・『此木三男個展』を開催。
読売アンデパンダン展に「扇子と傘の人物」(作品所在不明)出品。
1954(17才)第5回全国学生油絵コンクールに「多摩川」出品、入賞。
読売アンデパンダン展に「男の像」(作品所在不明)出品。
1955(18才)大田区立雪ヶ谷高校・夜間部に入学。
独立展に「人魚の悲しみ」(作品所在不明)出品、入選。
1957(20才)同 高校卒業。 第2回新世紀美術展に「ファンタジア」出品、新人賞。準会員推薦。
1958(21才)武蔵野美術学校に入学。在学中、グループD展に参加。
1963(26才)武蔵野美術大学西洋画科卒業。
1964(27才)国画会展、新人賞。ローマ・アカデミア美術大学に留学。イタリア国際美術展に「人物」出品.
1965(28才)ローマ・アカデミア美術大学卒業。ヨーロッパ、中近東、東南アジア巡遊。
1967(30才)国画会出品、会友。新樹会招待出品。シェル賞展、シェル賞佳作。
1969(32才)第三文明展に「天鼓」出品、大賞。横浜港北区高田町にアトリエを設ける。
1970(33才)第三文明展、東京新聞社賞。神奈川県展、鎌倉市長賞・朝日新聞社賞。
壁画制作研究のためヨーロッパ視察旅行、団長。
1971(34才)第三文明展、奨励賞。
1972(35才)富士大石寺「太陽の図」完成。
1973(36才)第三文明展、奨励賞。
1974(37才)此木三男石版画集出版。
1975(38才)此木三男銅版画集出版。中村正義の誘いで第1回東京展事務局に参画、出品。
1976(39才)「青枢会」創立代表。(東京都美術館)「青枢展」以後毎年出品。
第三文明展、大賞。「豁天」芸術選奨新人賞ノミネート。
版画集「リラの女」出版。銅版画集「青想」青枢会の友と企画出版。
雑誌ジュノン「アニマルの謝肉祭」銅版画の挿絵24ヶ月担当。イコン画(板絵)を描き始める。
1977(40才)中国視察旅行。
1978(41才)第三文明展、大賞。「青華碧天」芸術選奨文部大臣賞ノミネート。
1979(42才)ハクビ教育文化会館壁画完成。
1980(43才)「日本扇面芸術協会」創立代表。(東京都美術館)「国際扇面展」以後毎年出品。
1981(44才)広宣寺障壁画完成。大久保邸障壁画完成。銀座愛美にてイコン展開催。
此木三男常設ギャラリー福屋、銀座博品館にオープン。九州博多にてイコン展開催。
1982(45才)九州福岡岩田屋にて個展。懐石料理天鼓障壁画完成。
1984(47才)画号を三九男に改名。宮本輝明著シナリオ「太平記物語」挿絵担当。
1985(48才)笑虎美術館を設計建設に携わる。同館にて個展。船橋西武美術館にて個展。銀座月光荘にて個展。
1986(49才)群馬県群馬町庁舎壁画制作。画文集「アトリエの茶郎」出版。
1987(50才)画号を三九大に改名。韓国,裡里にて石彫を制作。
1988(51才)東京都立東村山ナーシングホームに陶板による壁画制作。
千葉県八日市場市立豊栄小学校壁画制作。同豊和小学校壁画制作。
1990(53才)神奈川県大和市引地台公園温水プール内外壁画、工芸ガラスによる壁画制作。
1991(54才)新いばらき新聞「紅灯奈良屋町幻影」挿絵担当。第1回ガラス絵展出品。
1992(55才)画号を三紅大に改名。もみの木画廊にて個展。
1993(56才)金属による彫刻の制作を開始。もみの木画廊新春展出品。以後毎年出品。
1994(57才)神奈川県座間市立市民体育館にステンレスによる彫刻設置。同、ガラスと石と金属によるレリーフ完成。
1995(58才)此木三紅大の個人美術館「那須高原私の美術館」開館される。常設展示。
神奈川県広域大和斎場にガラスと金属によるレリーフ、ガラス絵レリーフ、サンドブラストによる大窓、黒御影石とステンレスによるレリーフ完成。
1996(59才)那須高原に「彫刻の道」を企画、制作設置始まる。
神奈川県広域大和斎場に大理石によるレリーフ制作。
1997(60才)千葉県旭市立総合体育館にモザイクによる壁画制作。
1998(61才)「松山庭園美術館」開館される。同館にて個展。日本ガラス絵作家協会設立代表。
銀座松島画廊、松山庭園美術館にて現代ガラス絵選奨展。以後毎年出品。
千葉県立東部図書館に鍛造によるレリーフ「知識は旅をする」、彫刻制作。
1999(62才)千葉県立東総文化会館にて個展。千葉県八日市場市立図書館に鍛造によるレリーフ「本の虫」制作。
2000(63才)千葉県立東総文化会館にて「日色純一ヴァイオリンコンサート」に舞台美術を担当。熊日総合美術展21世紀アート大賞2000に彫刻出品、佳作。
白井田園耕導画庵にて個展。
2001(64才)千葉県旭市立中央小学校体育館に鍛造レリーフ制作。松山庭園美術館にて個展。もみの木画廊にて個展。
2002(65才)千葉県八日市場市山桑メモリアルホールに壁画制作。松山庭園美術館、個展。
2003(66才)第30回記念青枢展、「奔馬出現」青枢大賞、文部科学大臣賞。
東京都美術館に彫刻を特別展示。もみの木画廊にて個展。アートスペース風にて個展。松山庭園美術館にて個展。千葉市美術館にて平和展出品。以後毎年出品。
松山庭園美術館主催公募展「猫ねこ展覧会」に出品。以後毎年出品。
2004(67才)松山庭園美術館、天鼓にて個展同時開催。ビエンナーレKUMAMOTOに彫刻入選。
2005(68才)国際成田空港NAAギャラリーにて米谷和明氏と二人展。梅野記念絵画館にてガンダ彫刻展。銀座・みゆき画廊にて個展。
アートスペース風にて個展。銀座アートギャラリーにて「新しい人の方へ展」出品。以後毎年出品。
2006(69才)銀座・みゆき画廊にて個展。表参道ヒルズ同潤会にて個展。
METAL ART MUSEUM HIKARINOTANIにてガンダ彫刻展
2007(70才)松山庭園美術館にて個展。銀座アートホールにてRE UNION展。ギャラリー芙蓉にて個展。交通文化会館にて青枢P40号展。
上海・熏依社画廊にて個展。上海春季アートフェア、北京アートフェア、上海アートフェアに招待出品。
2008(71才)松山庭園美術館にて個展。上海魯迅公園・ZHU QIZHAN ART MUSEUMにて「可愛的擬人可・染愛」SHUNと二人展。彫刻4点買上げ収蔵される。
銀座アートホールにてRE UNION展。交通文化会館にて青枢PM40号展。銀座・みゆき画廊にて個展。
四川省大地震チャリティ展に参加。上海にて「テレサ・テン13回忌記念追悼展」に出品。
瀋陽市、WANG YI GANG アトリエビレッジにて7日間、絵画制作にあたる。
国立魯迅美術大学美術館にて「三位一体・中日芸術交流展」SHUN,叶欄と三人展。絵画2点買上げ収蔵される。
松山庭園美術館にて「少年・コノキ展〜此木三紅大の1950年代の油彩画など100点」開催。
2009(72才)来迎寺(千葉県香取市)に「龍の図」設置。梅野記念絵画館(長野県東御市)にて「変化と試みの画家・コノキ・ミクオ展」開催。
ワシオ・トシヒコ氏(詩人・美術評論家)、甲田洋二氏(武蔵野美術大学学長)と鼎談。
2010(73才)ほくさい美術館にてガンダ彫刻展開催。東京アート・フェア(東京国際フォーラム)招待出品。画廊宮坂25周年記念企画「コノキ・ミクオ展」をワシオ・トシヒコ展示構成により開催。
コノキ・ミクオの詩を朗読する会を実施。「新しい人の方へ展」(山脇ギャラリー)出品。上海・熏依社画廊にて「此木主義」個展。上海アート・フェア招待出品。
「青枢選抜2010」(ヒルトンホテルギャラリー)出品。松山庭園美術館にて「〜豹変する野良猫のように〜コノキ・ミクオの世界」絵画・彫刻・イコン・書などで開催。
2011(74才)松山庭園美術館にて此木三紅大の扇面画展。ほくさい美術館にて「此木三紅大、華麗に咲き誇る桜の世界」展開催。第38回青枢展をシアター1010にて開催出品。
鳴子こけし現代アート展招待出品。みゆき画廊にてガンダ彫刻展。ギャラリーKANI企画「ティータイム・コノキ・ミクオの詩朗読会を開催。
Art Metz 2011フランス パリ、Small Shape Big World―熏依社画廊所蔵展、KIAF韓国ソウル出品、Doors Art Fair2011韓国ソウル。
2012(75才)ほくさい美術館にて此木三紅大扇面画展開催。松山庭園美術館にて「此木三紅大アニマルの謝肉祭展」開催。画廊宮坂にて「此木三紅大絵画展」を開催。
「新しい人の方へ展」(山脇ギャラリー)出品。小見川市民ギャラリーいぶき館にて「ネッコワーク展」出品、以後毎年出品。第33回国際扇面展(東京都美術館)に出品。
ギャラリーKANI 企画「コノキ・ミクオの詩朗読会」を開催。松山庭園美術館にて「此木三紅大の風神雷神展」を開催。第39回青枢展を東京都美術館にて開催出品。
アートコレクターわの会展に出品。梅野記念絵画館企画私の愛する一点展に出品される。社会福祉法人まごころ新社屋のロビーと中庭に鉄製アート「ワァーイ」、「仲間たち」を制作設置。
表参道ギャラリーリビーナにて「煌めくガラス絵展」開催。美術月刊誌ギャラリー8月号から半年間に亘り、「コノキ・ミクオの詩と造形」が連載される。
CAS上海ホテルアートフェア、SWAB Art Fair スペイン出品。
2013(76才)銀座みゆき画廊企画「彫刻小品展」に出品。松山庭園美術館にて「此木三紅大の詩と芸術展」開催期間中、コノキ・ミクオの詩朗読会を2回開催する。
Best KONOKI,熏依社画廊; CAS上海ホテルアートフェア。
詩集「猫屋敷」発刊。美術月刊誌ギャラリー「コノキ・ミクオの詩と造形」の連載が好評につき更に半年延長される。新しい人の方へ展、国際扇面展、に出品。
みゆき画廊にて「コノキ・ミクオの彫刻展」開催。パークホテル東京汐留にて個展。松山庭園美術館にて「コノキ・ミクオと茶道具展」開催。
2014(77才)松山庭園美術館にて「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」開催。木更津わたくし美術館にて「此木三紅大の世界」開催。 日本扇面芸術協会解散。
La、galerie 梦心坊(市原市)にて「何だ?ガンダ コノキ・ミクオ展」開催。ほくさい美術館にて「コノキ・ミクオの七変化展」開催。
松山庭園美術館にて「此木三紅大の万華鏡そのⅠやきもの編」、「此木三紅大の万華鏡そのⅡ油絵で描く日本の美」開催。
銀座・画廊宮坂にて個展(ゾウさんが転んだ)開催。横須賀浦賀ギャラリー時舟にて「コノキ・ミクオ展」開催。
千葉県東総文化会館にて「文化まるごと発見フェスタ」に此木三紅大のガンダ・アート作品を大ホールギャラリーに展示。新しい人へ展参加。
2015(78才) パークホテル東京汐留にて「無邪気な鉄たち」個展。松山庭園美術館にて「此木三紅大の万華鏡そのⅢ~少年は猫を描いた~展」開催。ほくさい美術館にて「出井保勝とコノキ・ミクオ二人展」開催。
粘土による彫刻制作開始。月刊ギャラリー25周年記念連載「小川英晴のアート縦断」№57.58 詩人小川英晴と誌上対談。小冊子「少年は猫をかいた」を出版。
2016(79才)ほくさい美術館にて「此木三紅大の少年時代展」開催。コノキ・ミクオの詩朗読会。山脇ギャラリーにて「実験02」展に出品。
月刊ギャラリー「詩と造形」連載50回記念・詩とアートが織りなす世界-小川英晴の新アート縦横No9-にて誌上対談。
東京都美術館にて開催の「第43回青枢展」にて青枢大賞を受賞。銀座うしお画廊にて「あなたのためのカレンダー展」出品。
2017(80才)松山庭園美術館にて「コノキ・ミクオ80の新作展」開催。
Impression
~此木此刻~
『此木三紅大の絵画彫刻展』開催にあたって
私の芸術は一貫して「生命尊厳」をテーマにしています。私は生命あるものを尊び、育み、輝かせていきたいと願っています。
永い歴史の中で、人間が生命を軽んじてきたことは悲しいことです。
私の名に因む此木此刻<この機その時>、それは生命を大事にする時であります。
今こそ生命軽視の世紀から、21世紀が生命尊厳の時へと進むべきその時です。
私が生み出すガンダ彫刻は、一度生命を終えて打ち捨てられた物、つまり廃材が再生する芸術であります。時空を超えた生命尊厳をメッセージとして、創作した生命芸術といえます。
ローマで学び、日本で制作をしている私が、このたび上海の地で皆様に作品を見ていただけることはこの上ない喜びであり、広い文化交流こそ、これからの真の世界平和につながるものと信じ、熏依社画廊のご好意に深謝いたします。
アーチスト 此この木き 三み紅く大お
2007年9月
刹那の把握
ガンダという千葉地域の方言で命名された彫刻が新しい。「ガンダ」とは一度捨てられた廃鉄のことを指すという。此木三紅大氏のガンダ彫刻は名の通り、錆びた鉄を素材に用いている。いわば、そこには新たな命が吹き込まれ、その前に立った観者の気持ちを一度ふっと軽くしてくれるような気がする。軽くしてくれるだけではない、癒してまた考えさせられるからそこが凄く奥が深い。
現代のウェブ社会は人それぞれが何かに追い込まれた日常を送っている。目まぐるしい変化の中で、膨大な情報量と慌しいライフリズムはストレスとして現代人の神経を疲れさせ、それに押し潰されそうな毎日が待ち構えている。
そういう現代人に必要とされるパワーがこのガンダ彫刻にはあるのではと信じてやまない。なぜなら、少年っぽい遊び心とクールながら気取らない気品が此木氏の作品からにじみ出ているからである。氏の彫刻と絵画の前に立っただけでは誰もが氏の年齢を想像することはできないだろう。
フランスの哲学者であるバタイユは著作「エロティシズム」の中で、侵犯について論じたことがある。「ある時期に、ある程度まで、それはやってもよい」という彼の定義は非常に興味深い。
それなら、氏の作品を前にしたあなたはきっと作品の魅力に侵犯されるだろう。あなたが幸運に氏の作品の前に立つ機会に恵まれたなら「侵犯される贅沢」を味わうことは間違いだろう。昨年銀座で画廊めぐりをしている時に氏のガンダ彫刻に出会えた。個展会場の某画廊にて思いっきり話しかけて見たのがきっかけで、氏の作品に見せられて今日に至る。今回氏の上海大型個展を主催する幸運に恵まれる。
此木氏は彫刻、油絵、ガラス絵、版画と何でも作ってしまうマルチな才能の持ち主であり、その作品をより多くの人に紹介することは幸せに感じる限りである。日本にある氏の個人の美術館で初期作品から此木の世界を垣間見ることができるとしたら今回の大型上海個展は氏の新作を中心に紹介する形になっている。
中国は今空前のアート・ブームにさしかかっている。世界のアート・シーンの中でブームを牽引している役割も担っているとさえ言われている中、中国の地元の画廊が取り扱うのは地元の売れ筋のいい作家さんか欧米の作家が多い。近くにいながら日本の作家の紹介はまだ少ない。
その中で、日本の作家を扱うには何か特別な意味があるのだろうか?それは、日本と中国が近隣の国家にもかかわらず、欧米を媒体にしてはじめて交流が図れることに筆者はかねてから疑問を持っていたからです。アートはボーダ・レスであり、地域や国境と関係なく、いい作品は受け入れられるべきだし文化交流の一役を今アートを通して行うべきときだと痛感しているからである。
近作の中に猫を題材にして描いた作品がある。氏が千葉県匝瑳市と那須に所有する個人美術館には四季を綺麗に彩る日本式庭園が美しい。そのお庭を舞台に猫たちが暮らしている。氏の作品の中で特に注目を受けるのはこうした日常生活の中で身辺に生きる生き物の擬人化、あるいはそれを媒体にエロティズムを表現することである。
猫が夢を見ているような、馬が飛翔しているような、絵画の世界でハリーポッターを感じさせてくれるのは、私だけではないはずである。
経済的なバブル期にさし当たっている上海にて今回個展を開催するのは、ある意味特別な意味を賦与されるかもしれない。とはいってもやってくるのは半数が外国からのお客である。ここで世界に発信できるのを望んでやまない。そしたらその中で限りなき喜びと癒しを満喫してなかなか氏の作品から離れられない当初の私の気持ちが理解できるかもしれません。
氏の作品の前で、共感するあなたを想像しながらパリから上海に向かう機上にてこの文章を筆を置くことにしたい。
Shun
2007.9