Golden Black -黒金-
Duration : 12:00 - 19:00 (月曜休)
Opening : 2020.9.5(土)- 2020.10.18(日)
Venue : 東京都港区台場2-2-4 クリニックモール3階
Tel : +81 (0) 3-6426-0726
Web : https://shunartdesign.com/
Artist : 于艾君 |YU Aijun
アートのあるべき姿
コロナ禍で、われわれ人類は一度「大時代」に差し掛かっているように思う。人類社会はこれを機にいろんな関係性について再考と反省をしなければいけないだろう。自然と人間、世界とモラル等の様々な錯綜した多角関係において。
それらの相互関係の拮抗と対峙、および矛盾・・・我々が直面した現実の中に避けては通れない数多くの悲惨な現状。だけど、その中でも一筋の希望は我々に残されていると思いたい。
おそらく我々は従来の「人間中心主義」を見直す必要があり、相手の立場に立った謙虚な行動様式が求められるだろう。
人類が歩んできたここ100年来、正確には第二次世界大戦後に構築された近大における人文哲学、および学術用語は一瞬にしてバランスを崩し、効力を失ったかもしれない。突如と訪れた見えない敵によって。それはいわゆるデッド・レガシーになりかねない。
今、一人のアーテイストとして、自分の作品制作、制作方向性やメソッドについても、同様に考え直す必要があるのではないか、とも思った。すなわち、私たちはどうあるべきかを再考させられた。
このコロナ禍で起きたショックと変化に対する記録を如何にすべきか?おそらく、極端に言えば、しばらくの間観念的な、コンセプチュアルなもの、小ぶりの作品だけを制作した方が「罪悪感」が多少なりとも軽減されるではないか。言い換えれば、大量消費型、バカでかい作品、ラグジュアリで豪華な作品制作は当分控える必要があるかもしれない。
僕が理解しているアートとは、まずはこれらの現状にメスを入れられる鋭利な刀でなければならない。
于 艾君 YU Aijun
複雑な心境のもとに
東京のギャラリーを開設して以来三回目になる企画展。今回もオープニングは厳しいので、中止としなければならないと思う。東京のコロナ感染者数がまだ200人以上あるからだ。
昨日は安倍首相が辞任を表明した。画廊の展示会現場にもあまり積極的には人を呼べないまま、粛々と仕事を続けている。
9月の展示会に、中国北の街瀋陽にある魯迅美術大学で教えている現代作家二人の個展を開催する運びになった。昨年冬に瀋陽に出張した際に訪れたアトリエで見た作品達が頭の中を掠めたからである。
魯迅美術大学は中国8大美術大学の一つで、伝統ある少し引き締まった画面で優秀なアーテイストを世に送り出している。
于艾君氏は、北京のアートギャラリーで数多くの展示会に出品しているだけでなく、2年前にはバーゼル香港で個展を開催するほどの実力の持ち主だ。詩人でもある彼の芸術言語は鋭くてエッジが効いていて、版画のイメージを彷彿とさせてくれるが、それを超越したシュールさがカッコいい。素材は日常的な紙、布、方眼紙、新聞紙等多様である。ダイナミックなアイデイアに負けない柔軟な心、感受性豊かな画面は吹き出るアイデイアを確実な筆致で受け取るアンテナを張り続けた結果であろう。複雑な社会で生きる我々の多様な人間模様とある「モノ」が描かれている。今回は海外から輸送するのに限界があったので、比較的に小さめの作品と布のインスタレーションのように掛けて設置できる作品を送っていただいた。
古い重工業基地だった瀋陽の古い研究所や工場で使っていた指示書や設計図っぽい古い紙を素材に、ビビッドなピンクやブルーの色鉛筆を使った作品、形があるものや抽象的な形式のものもある。なんとも分類しがたいが、ビビッと心に突き刺さるものがある。大きな白い布に黒い色調に書いた作品、無雑作に描き下ろした人やモノ、それは時空を超えて今ではなく、遥かなるミライの模様に見える。そして、何十年前に重工業の現場で使われていた紙は彼の親の青春のメモリーとして残り、時間と空間が作品の中で巡り会うのである。
張海君氏の作品は、長い大変な修練を経た怪しい美しさを表現していると言う。実は大きさが2メーター以上の大作が展示会の構成に含まれていたが、やはり運送の問題もあるので、もう少し小さい作品の構成に変更になった。
ゴージャスな妖しさ、そこには現実にはなさそうなシュールな崇高ささえ漂い、近づきがたい。そして、頭から離れない眩惑的な色と形、それを見て何を想像するかは観る者の自由なのである。そして、そこで作品は一層妖しさを増す。
繊細な錯覚に囚われそうな、敏感な画面。その作家本人もまた繊細な精緻な方だ。細かいこと一つにも妥協を許さないこだわり、その本人そのものが作品にも表れている。
今回の、東京画廊で二つの空間を一部屋ずつ使う企画展。二人とも東京初個展だ。
作品が空間に掛けられた品位を想像してみる。やはり楽しい作業ではある。
作品は「場」を作る。其の「場の空気」は生きている。
Shun
Tokyoにて