静寂ノ刻
Duration : 12:00 - 19:00
Opening : 2021年10⽉29⽇(⾦)〜2021年12⽉5⽇(⽇)
Venue : 東京都港区台場2-2-4 クリニックモール3階
Tel : +81 (0) 3-6426-0726
Web : https://www.shunartdesign.com
Artist : 前田正憲
静寂の刻
―前田正憲の個展によせて
青春の一つの滴のしたたり、それがただちに結晶して、不死の水晶にならねばならぬ。砂時計の上半部からこぼれ落ちる砂が、こぼれ尽くしたときに、かつて上半部に堆く溜まっていたそれと同じ形を、下半部に築き上げているように、青春を生き終ったとき、漏刻の一滴一滴は悉く結晶して、かたわらに逸速く不死の像を刻み上げていなければならぬ。
造物主の悪意が、完全な精神と完全な青春の肉体とを同じ年齢に出会わせず、いつも青春の香わしい肉体には未熟な不出来な精神を宿らせるといって、概くには当たらない。青春とは、精神の対立概念なのだ。精神はどれほど生きのびようとも、青春の肉体の精妙な輪郭をまずくなぞえるにすぎないのである。
青春が無意識に生きることの莫大な浪費。収穫を思わぬその一時期。生の破壊力と生の創造力とが無意識のうちに釣合う至上の均衡。かかる均衡は造形されなければならぬ・・・
三島由紀夫のこの『禁色』のこの一句を思い出すのは、前田正憲アトリエを訪ねた時の感想だ。遠く静かな砂漠に「命」の違う形の髑髏、等伯の松林図屏風を含む抽象画の世界と初期の日本画の作品シリーズは、彼の創作活動の違う地表を表すようでその「精神」は繋がっている。青春と精神が対立概念であるようにだ。
かくして、そのシュールな日本画的半具象も抽象も、前田自身の違う「青春」の違う「側面」や「刻」を如実に反映しているだけかも知れない。
人間は、複雑な総合体であるのだ。関係性で頼りすぎたら裏切られる。頼った分だけ脆く傷つけられるが、それも長いスパンで考えると大したことないのかも知れない。
東京のスペースでの今回の個展は、その違う段階の前田の作品を網羅した展示会になる。その相矛盾するかも知れない「青春」と「精神」の衝突こそ、前田作品に見出す魅力だろうと私は思うのだ。
だが、生の「破壊力」と生の「創造力」とを見るとき、私は「創造力」を見つめた。この御時世だからこそかも知れない。
Kindleで処女作『三日月』を発表した今年の初夏、言葉が重なる瞬間があった。偶然だが。大きい宇宙の空間で、空中遭遇したのかもしれない。
われわれが生きているうえで「否定すべきもの」の一切、その他もろもろのものこそが、当然スクリーンが映し出してしかるべき光輝を、世間一般の「正義」の常識の名の下に窒息させようとしているからだ。
我が身の保身のために、人は「石」を用意し、仲間に投げるのか。あるいは、一度たりとも「仲間」だったことはなかったか。
すべては、コロナ禍の現世の『禁色』か。
Shun 上海の隔離ホテルにて